本稿では、1945年から1972年まで、北朝鮮と日本における対外交 流史と、その密接なる関係により展開された両国の映画交流⋅関係 史を通時的に分析し扱っている。 また、映画作品の分析を通じて相互 に対する認識が、それぞれ北朝鮮映画と日本映画の中でどのように 表象されていたのかを分析した。 この時期における両国の映画交流⋅関係史の特徴は、帝国主義時 代に本土から離れ外地で敗戦を迎えた日本映画関係者、戦後も引き 続き日本に居住していた在日朝鮮人、そして社会主義性向を持った 日本の政治家などが深く関係しているという点である。 彼らを取り巻く当時の歴史的状況、民族問題、政治思想などは、映画活動と密接 に結びついていた。 その関係性の中で、北朝鮮映画製作への日本人の 参加、日本国内での北朝鮮映画の上映、日本での在日朝鮮人の映画 製作などが実現されていた。 一方、北朝鮮と日本における映画関係の 様相は、両国の映画が発展していく中で、互いに対する表象が作品 の中に反映される方式で行われた。 北朝鮮映画の中の日本人表象は、 主に「抗日武装闘争」を扱った作品の中で、定型化された物語構造と キャラクターの再生産が繰り返される形で現われた。 また、日本映画 の中の北朝鮮(人)表象は、主に在日朝鮮人を扱った一連の作品の中 で、当時の日朝関係あるいは日本社会内の在日朝鮮人問題などが反 映され表象されている。 すなわち、両国の公式的な交流が活発ではな かった1945年から1972年まで、北朝鮮と日本では各時期の状況と条 件に応じた間接的なレベルの映画交流が行われ、作品の中に両国そ れぞれの表象が反映されていた。 当時、映画は最も影響力のある民衆 への宣伝媒体であり大衆娯楽であっただけに、本稿ではこれを通じ てこの時期の日朝間の文化交流⋅関係様相の流れを把握することを 試みた。
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