本稿では北朝鮮帰国事業が行われた当時、積極的に同事業についてコメントをしていた金達寿の「肩書きのない男」を中心に、同時代の韓国政府が刊行した外交文書を経由しながら、北朝鮮に関する表象を考察することを目的とした。 その結果、1964年に発表された金達寿の「肩書きのない男」は1964年当時も帰国事業が続いていたにもかかわらず、作品の中では1961年の帰国事業を描いている。特に、このような設定となった理由は、当時の外交文書を経由したところ、その理由は1962年に北朝鮮に帰国された人々が書いた手記『楽園の夢破れ』が発表され、日本の中では帰国者の数が圧倒的に減少した時期とも重なることが明らかになったからである。 また、語り手の「私」はもともと韓国帰国を希望していた「趙訓」という人は今や北朝鮮に帰って「工場の守衛」にでもなっているだろうと想像するものの、しかし当時の帰国者の証言によれば、政治活動家としての「趙訓」は北朝鮮では一番忌避されていた職業でもあった。そのことから、帰国事業に対する「私」の認識は共産主義の優位を宣伝する北朝鮮の立ち位置と一致しているとも言える。つまり、同作品ではまだまだ帰国者数が多かった1961年に設定することによって、帰国後の在日が直面するであろう日本との断絶を作品の中では巧妙に避けていたことを意味するのではないだろうか。
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